大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 平成2年(行ウ)3号 判決

原告

甲野花子(仮名)(X1)

甲野太郎(仮名)(X2)

右両名訴訟代理人弁護士

折田泰宏

中村広明

被告

八日市市長 望田宇三郎(Y1)

右訴訟代理人弁護士

宮川清

被告

乙山次郎(仮名)(Y2)

右訴訟代理人弁護士

森野嘉郎

事実及び理由

第二 事実の概要

一  争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実は、以下のとおりである。

1  被告乙山次郎(以下「被告乙山」という)は、昭和五三年三月二五日当時、別紙物件目録記載二の土地(以下「二一三番一の土地」という)を所有していた。同土地上に、同目録記載一の建物(当時は、未登記であった。以下「本件建物」という)が存在していた(争いがない)。

2  八日市市は、昭和五三年三月二五日、被告乙山から、同市野口外周線道路の敷地として、二一三番一の土地から別紙物件目録記載三(以下「二一三番四の土地」という)の土地を分筆のうえ買い受けると同時に、分筆後の二一三番四の土地上にも一部存在する本件建物の移転除去のため、別紙契約目録記載の物件移転補償契約(以下「本件補償契約」という)を締結した(争いがない)。

八日市市は、同年五月三一日、本件補償契約の債務の履行として補償金九八五万三〇〇〇円を被告乙山に支払った(〔証拠略〕)。

3  その後、被告乙山と一針絞芸株式会社(以下「一針絞芸」という)との間で本件建物の所有権の帰属について紛争となり、被告乙山は、当時登記簿上所有名義人であった一針絞芸に対して、本件建物の所有権に基づき、同建物につき真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を求める訴え(大津地方裁判所彦根支部昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求事件)を提起したが、平成元年六月、被告乙山敗訴の判決が言い渡され、右判決は確定した(争いがない)。

4  被告乙山は、平成元年一二月二七日、原告ら及び一針絞芸に対して、本件敷地の使用貸借の終了ないし本件敷地の所有権に基づき、本件建物の収去及び本件建物の敷地の明渡を求める訴え(平成元年(ワ)第一二五号建物収去土地明渡等請求事件)を大津地方裁判所彦根支部に提起したが、平成五年一月二九日、被告乙山敗訴の判決がされ、その控訴審(大阪高等裁判所平成五年(ネ)第三四二号建物収去土地明渡請求控訴事件)も、平成五年一二月一五日、右一審判決を維持し、右一審判決は確定した(〔証拠略〕)。

5  被告八日市市長(以下「被告市長」という)は、現在においても、本件契約を解除せず、被告乙山に対し、前記補償金の返還を求めてもいない(争いがない)。

二  争点

1  本件住民訴訟は、適法な住民監査請求を経ているか。

2  被告市長が被告乙山に対して本件補償契約を解除せず、原状回復請求権に基づき九八五万三〇〇〇円の返還請求をしないことが違法であるか。

(一)  原告の主張

(1) 本件補償契約は、本件建物の移転除去に伴う損失を補償するという内容の契約であるから、当然、本件建物の所有者との間で締結されるべきであったところ、八日市市は、本件建物の所有権を有しない被告乙山との間で本件補償契約を締結した。

その後、前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求事件の判決が確定し、被告乙山が本件建物の所有者でないことが明白になり、かつ、右訴訟における原告らの争い方から考えて、被告乙山が一針絞芸や原告らから本件建物の所有権を取得した上でその除去、移転をすることは不能に帰した。

したがって、遅くともこの時点で、被告市長は、本件補償契約を解除し、原状回復請求権に基づき被告乙山に支払った補債金の返還請求をするべきであった。

(2) 少なくとも、前記平成五年(ネ)第三四二号建物収去土地明渡請求控訴事件判決の言渡がされ、これにより一審判決が確定したことにより、被告乙山が本件補償契約の債務である本件建物の移転除去を実現することは不能であることが明白となった。

したがって、被告市長が現在においても、本件補償契約を解除せず、被告乙山から補償金の返還を求めないまま放置していることは、被告市長が違法に公の財産の管理を怠っているものである。

(二)  被告市長の主張

八日市市が被告乙山と本件補償契約を締結したのは、当時、本件建物が未登記であったこと、昭和四三年一二月、本件建物の建築確認を被告乙山が受けていたこと、昭和四五年度以降の本件建物にかかる固定資産税を被告乙山が納付していたこと、原告らのほかに八日市市に対して本件建物の所有権を主張する者がいなかったことから、被告乙山を本件建物の所有者であると考えたことが理由である。

その後、前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求事件の判決が確定した後も、八日市市が本件補償契約を解除しなかったのは、被告乙山が前記平成元年(ワ)第一二五号建物収去土地明渡等請求事件を提起したので、被告乙山が右訴訟で勝訴すれば、本件建物の移転がされ、本件補償契約の目的を達することができると判断したからである。

3  被告乙山は、八日市市に対して、本件補償契約の履行として受領した補償金を返還する債務があるか。右債務があるとして、右債務の発生時期は何時か。

(一)  原告らの主張

本件補償契約により被告乙山が負った債務は、前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求事件の判決の確定した時点で、被告乙山が本件建物の所有者でないことが確定し、かつ、右訴訟における原告らの争い方から考えて、被告乙山が一針絞芸や原告らから本件建物の所有権を取得した上でその除去、移転をすることは不能に帰した。

仮に右時点においては、右債務の履行が不能ではないとしても、遅くとも、前記平成五年(ネ)第三四二号建物収去土地明渡請求控訴事件判決の言渡がされ、これにより一審判決が確定したことにより、被告乙山が本件補償契約の債務である本件建物の移転除去を実現することが社会通念上不能に帰した。

そして、右債務の履行不能は、被告乙山の責に帰すべき事由によるものである。これにより、被告乙山の債務は債務不履行の一般原則により、損害賠償債務に転化している。この損害の額は、被告乙山が本件補債契約の履行として受領した補償金に相当する金額である。

(二)  被告乙山の主張

前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求事件の判決が確定したことにより、本件建物を移転除去することが不能と帰したわけではない。被告乙山は、右判決確定後、前記平成元年(ワ)第一二五号建物収去土地明渡等請求事件を提起したので、被告乙山が右訴訟で勝訴すれば、本件建物の移転がされ、本件補償契約の目的を達することができるからである。

第三 争点に対する判断

一  争点1について

1  〔証拠略〕によれば、原告らは、八日市市市監査委員に対して、平成二年六月一八日付書面により、本件補償契約は、本件建物の所有者でもない被告乙山と締結したもので右契約自体無効であるから、被告乙山に対して不当利得に基づき支払われた補償金を返還請求すべきであるのに放置し、これを怠っているとして、その是正措置を求めるべく監査請求し、これを受けた八日市市監査委員は、原告らに対し、同年八月一六日付書面で、監査請求期間を徒過してされた不適法な監査請求であるとして、地方自治法二四二条二項により、原告らの右監査請求を却下する旨の監査結果を通知したことが認められる。

そして、本訴においては、原告らは、前記第一のとおり、被告市長が被告乙山との間で締結した本件補償契約の解除を前提とするものではあるが、右契約に基づいて被告乙山に支払った補償金の返還請求をしないことの違法確認を求めている。したがって、原告らは、同人らが本訴において違法確認を求めている怠る事実と同一の怠る事実を前記監査請求の対象としていたと解される。

2  次に、住民監査請求制度は、普通地方公共団体の財政の腐敗防止を図り、住民全体の利益を確保する見地から、普通地方公共団体の住民が、当該普通地方公共団体の長等について、違法若しくは不当な公金の支出等があると認めるとき、又は違法若しくは不当に公金の賦課若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実があると認めるときに、監査委員に対し、監査を求め、当該行為を防止し、若しくは是正し、若しくは当該怠る事実を改め、又は当該行為若しくは怠る事実によって当該普通地方公共団体の被った損害を補填するために必要な措置を講ずべきことを請求することを認めた制度であって、監査委員は、住民が主張する事由以外の点にわたって監査することもできると解され、また、住民訴訟は、監査請求の対象とした違法な行為又は怠る事実について提起すべきものとされているに過ぎないのであって、当該行為又は当該怠る事実について監査請求を経た以上、訴訟において監査請求の理由として主張した事由以外の違法事由を主張することは何ら禁止されていないと解される。

したがって、監査請求及び住民訴訟において、同一の当該行為又は怠る事実を対象とされている場合において、監査請求においてされた主張それ自体をみれば不適法な監査請求であっても、右監査請求を経た住民訴訟における主張が仮に監査請求の際に主張されていたとすれば、監査請求が適法である場合においては、住民訴訟に前置すべき監査請求は適法であると解される。

本件において、原告らは、前記第二の二2(一)のとおり、本件補償契約自体が無効であるとする前記監査請求における主張とは異なり、本訴において、被告八日市市長が被告乙山の履行不能を理由に本件補償契約を解除せず、被告乙山に対して原状回復請求権に基づき補償金の返還請求をしないことが違法な怠る事実であるとして、右返還請求権の法的根拠となる事由を変えているから、本件住民訴訟に前置されるべき監査請求が適法であるか否かについては、右住民訴訟における主張をも併せ考慮した上、判断すべきである。

3  ところで、普通地方公共団体において違法に財産の管理を怠る事実があるとして住民監査請求があった場合に、右監査請求が、当該普通地方公共団体の長その他の財務会計職員の特定の財務会計上の行為を違法であるとし、当該行為が違法、無効であることに基づいて発生する実体法上の請求権の不行使をもって財産の管理を怠る事実とするものであるときは、当該監査請求については、右怠る事実に係る請求権の発生原因たる当該行為のあった日又は終わった日を基準として地方自治法第二四二条第二項を適用すべきであるが、右特定の財務会計上の行為自体は適法であるものの、右財務会計上の行為により取得した債権が履行不能となったにも係わらず、適当な措置を講じていないことを財産の管理を違法に怠る事実であるとして、その是正を求める場合には、同条項は適用ないと解される。

そして、前記のとおり、本訴においては、原告らは、普通地方公共団体である八日市市が被告乙山と締結した本件補償契約自体が違法、無効であるとし、そのことに基づいて発生する請求権の不行使をもって財産の怠る事実としているのではなく、右契約自体は、適法かつ有効であるが、これに基づいて被告乙山が負った債務の履行が不能であり、かつ、このことに被告乙山の責に帰すべき事由があることを前提として、債務の履行が不能であることが明白になった時点以降においては、本件補償契約を解除し、被告市長が被告乙山に支払った補償金の返還を受けるべきであるにもかかわらず、これを怠っているという被告市長の不作為を対象として、これを補償金の返還請求権という財産の管理を違法に怠る事実であるとしてその確認を求めるものであるから、本件監査請求について、地方自治法二四二条二項を適用することはできないと解すべきである。

4  以上のとおりであるから、本件監査請求は、監査請求期間の制限を受けないものとして適法であると解され、本件住民訴訟は、適法な監査請求を経たと解される。

二  争点2について

1  被告乙山は、本件補償契約締結当時、本件建物の所有権を有していなかったこと及び被告乙山は、それ以後も本件建物の所有権を取得したことがないことは、原告らと被告市長との間に争いがなく、また、本件補償契約締結後、本件建物の所有権の帰属について、被告乙山と一針絞芸との間で紛争になり、前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求訴訟が提起され、被告乙山の敗訴が確定したこと、このため、被告乙山は、前記平成元年(ワ)第一二五号建物収去土地明渡請求訴訟を提起したことは、前記第二の一3及び4のとおりである。

これらの事実によれば、右昭和六〇年(ワ)第八三号事件の判決が確定したことにより、被告乙山が本件建物の所有者でなく、一針絞芸が所有者であることが明白になったこと、右判決当時、被告乙山と一針絞芸との間の紛争は、こじれたまま解決の糸口は見当たらない状況にあり、これを前提とすると、原告らと被告八日市市長との間においては、被告乙山が、本件建物の所有者である一針絞芸から所有権を取得するなどして、その所有者として本件建物を移転除去することは、遅くとも右昭和六〇年(ワ)第八三号事件の判決が確定した時点において、社会通念上、不可能に帰したと解される。

2  ところで、普通地方公共団体がある事業を遂行する上で、ある建物が存在する土地を更地として取得する必要が生じ、その建物の移転、除去に伴う損失を補償する内容の契約を締結する場合、その相手方は、右建物を移転除去する権限を有する者であれば足りるから、必ずしも当該物件の所有者でなければならない訳ではない。このことは、右契約を締結した後、相手方に右建物の所有権がないことが明白となり、しかも、所有者から所有権を取得することも社会通念上不能となったため、所有権に基づき右建物を移転除去することが不能となった場合においても妥当し、普通公共団体としては、相手方に右建物の移転除去を実現できる可能性があると考え得た以上、相手方が右建物の所有者ではなかったということだけで右契約を直ちに解除しなければならない訳ではない。

したがって、本件補償契約の相手方である被告乙山が、本件建物の所有権に基づいては、本件建物の移転除去をすることが社会通念上不能となった前記昭和六〇年(ワ)第八三号事件の判決確定時点においても、被告市長が、本件補償契約を解除せず、右契約に基づいて被告乙山に支払った補償金の返還を請求しない事実を、それだけでは直ちに違法であるとは言えない。そして、原告らは、他に本件補償契約を解除し、補償金の返還を求めないことが、右時点において既に違法である理由を主張、立証していないから、結局、前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求訴訟の判決が確定しただけで、被告市長が、本件補償契約を解除せず、被告乙山に対して、右補償金の返還を請求しない事実を違法であるとすることはできない。

3  しかしながら、前記平成五年(ネ)第三四二号建物収去土地明渡請求控訴事件の判決が言い渡され、その一審判決が確定した時点においては、本件補償契約により被告乙山が負った債務である本件建物の移転除去を実現することが不可能であることに帰したと言えるから、本件補償契約を維持しておく理由が全くなくなったと考えられる。

したがって、被告市長としては、本件補償契約の履行として支払った補償金を被告乙山に取得させたままにしておく理由もないばかりか、むしろ、八日市市が被った損害を補填すべく、被告乙山から、右契約を解除した上で、補償金の返還を受けるべきであり、右措置を講じていない現在の事実は、財産の管理を違法に怠るものと言うべきである。

三  争点3について

1  〔証拠略〕によれば、本件補償契約締結後の昭和五四年一二月六日、本件建物につき一針絞芸のために所有権保存登記がされたことが認められ、また、その後、本件建物の所有権の帰属について、被告乙山と一針絞芸との間で紛争になり、前記昭和六〇年(ワ)第八三号所有権移転登記手続等請求訴訟が提起され、被告乙山が敗訴したこと、このため、被告乙山は、前記平成元年(ワ)第一二五号建物収去土地明渡請求訴訟を提起したことは、前記第二の一3及び4のとおりであり、これらの事実によれば、前記第三の二1と同様に、右昭和六〇年(ワ)第八三号事件の判決が確定したことにより、被告乙山が本件建物の所有権を取得するなどして、その所有者として本件建物を移転除去を実現することは、社会通念上不可能となったと解される。

しかし、右時点においては、なお、被告乙山が、前記平成元年(ワ)第一二五号事件に勝訴することにより、本件建物の移転除去を実現する可能性が残っていたと解されるから、被告乙山の右債務が履行不能となった訳ではなく、被告乙山の債務が履行不能となったのは、右平成元年(ワ)第一二五号事件の控訴審判決が言い渡され、右一審判決が確定して、被告乙山が本件建物の所有者としても、使用貸借の終了を理由としても、本件建物の移転除去を実現することが不可能となり、しかも当事者間における何らかの話し合いによる解決も期待できなくなった時点であると解される。

2  そして、前記平成五年(ネ)第三四二号建物収去土地明渡請求控訴事件の判決が平成六年一月四日の経過により確定したことは、当裁判所に顕著な事実である。

3  したがって、平成六年一月四日の経過により、被告乙山の債務は、同人の責に帰すべき事由により履行不能となり、被告乙山は、これにより八日市市が被った損害を賠償する責任を負うに至った。

なお、右損害の額は、少なくとも被告乙山が本件補償契約の履行として受領した補償金の額を下らないと認められる。

4  なお、被告乙山は、一針絞芸は、既に解散されており、清算手続に入っており、本件建物は、清算終了後は残余財産となり、その分配を受けるのは、被告乙山であるから、本件建物の所有者は、形式的には一針絞芸であっても、実質的には被告乙山であって、被告市長が被告乙山に対し、本件建物移転除去の損失補償をしても、何ら違法ではない旨主張するが、本件補償契約により被告乙山が負った債務は、道路敷として二一三番四の土地を使用することができるように、更地として二一三番四の土地を八日市市に引き渡すことを前提とし、右土地上に存する本件建物の移転除去に伴う損失を補償するものであると解されるが、前記のとおり被告乙山が本件建物を移転除去することが不能に帰しているから、本件補償契約を締結、維持する理由がない。したがって、被告乙山の右主張は失当である。

(裁判長裁判官 河田貢 裁判官 本田知成 片山憲一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!